<運営者情報>
「香林坊浄苑」は金沢市長町にある宗教法人道林寺支坊(浄土真宗東本願寺派)が運営する、屋内型の永代供養墓です。
道林寺は、富山県小矢部市中央町にある「道林寺」(便宜上本坊と称しています)と金沢市長町にある「道林寺支坊」の二つの寺院が両輪となって運営されています。住職はともに楠尚仁が第二十九世として兼務しています。
● 宗教法人 道林寺
(どうりんじ)
所在地:〒 932-0045 富山県小矢部市中央町2-43
電話番号:0766-67-1277
住職名:第29世住職 楠 尚仁(くすのき なおひと)
宗派:浄土真宗東本願寺派
事業内容:仏事全般、地域の仏事、これらに関する情報の発信
<沿革・歴史>
松長山道林寺の前身となる真言宗聖主院慶坊の創設は古く、今からおよそ8百余年に遡る1182年に現在の小矢部市蓮沼に創設された。6代目に後継ぎがなく、1336年南朝方の楠正成が奏川の戦死の折り、生き残りの一族が正成弟・正季(まさすえ)の子、正義(当時7歳)を守って医王山に逃れた際、一族相図って正義を剃髪、得度させて助命を請い、同山にあった真言宗聖樹院道淋寺9代目の住職(慶開)に据え、以後その子孫が代々住職を世襲した。
同寺13代住職の折り、同山を下り、現在の小矢部市松永に七堂を構えて今の道林寺に名を変えた。
しかし、天正年間、佐久間玄蕃(盛政)に兵糧隠匿の疑いを受けて焼き討ちされ、その後、前田利長の入国の折り、道場、屋敷、三支所を拝領し、同地区を治めた前田分藩の命で1649年現在地に移ったと伝わっている。
道林寺はその後真宗の法城として栄え、明治維新の折りには徳川征討の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)のお立ち寄りをはじめとし、明治11年明治天皇が北陸巡幸の際、ここを一夜の宿所とされ、その後閑院宮(かんいんのみや)、秩父宮、高松宮などもここを憩いの場とされた。
菊水の家紋は楠木正成公の家紋であり、公の事跡を今に伝えている。
蓮如上人の帖外御文に道林寺の名前が出てくる。
[帖外御文20]それ人間の為体をしずかに案ずるに老少不定といいながら、つれなきものは我等ごときの凡夫なり。これによりて身体は芭蕉の葉におなじ。ただいまも無常の風にあいなば、すなわちやぶれなんことは、誰の人がのがるべき。ただふかくいとうべきは娑婆世界なり。またねがうべきは安養世界なり。このたび信心決定して仏法修行せずば、いつの世にかはうかむことをえんや。それについては、ここにすぎぬる秋のころ多屋屋敷のなかに松長の道林寺郷の公〈きみ〉慶順は、としをいえば二十二歳なりしが、老少不定のいわれやのがれがたきによりて、ついに死去す。あわれなること中々いうばかりもなし。ことに仏法を心に入れし間、おしまぬ人これなしとおもう所に、今月四日にまた福田の乗念も往生す。かの道林寺も同日にあいあたりて往生せしこと、まことに信心のとおりも一味せるいわれとおもいはんべるなり。抑も乗念は満六十なり。松長の慶順は二十二歳なり.これすなわち、わかきは老いたるにさきだついわれなれば、あら道林寺やな、かれもこれも、おくれさきだつ人間界のならいは、だれものがれがたきなり。さりながら同一念仏無別道故の本文にまかせて、まことに一仏浄土の往生をとげんこと、本願あやまりあるべからず。あら殊勝哉、あら殊勝哉。あなかしこ、あなかしこ。
● 宗教法人 道林寺支坊
(どうりんじしぼう)
所在地:〒920-0865 石川県金沢市長町1-4-52
電話番号:076-261-8912
ファックス:076-261-8631
住職名:第29世住職 楠 尚仁(くすのき なおひと)
宗派:浄土真宗東本願寺派
事業内容:仏事全般、堂内墓販売、地域の仏事、これらに関する情報の発信
< 沿革・歴史>
道林寺支坊は、加賀国河内郷江津村(現白山市江津)にあったとされる。そのため江津、河内福岡、直海谷周辺に大生の門徒があった。寛文12年寺格昇進に基づき、河内郷より金沢に移り現在に至る。
● 香林坊浄苑
(こうりんぼうじょうえん)
所在地:道林寺支坊内
電話番号:076-261-8912 (道林寺支坊 同)
URL:https://korimbojoen.com
経営許可番号:市民第784号
経営許可日:2023年9月8日
●楠 尚仁住職
道林寺第29世住職。1964年岐阜県垂井町の平尾御坊願證寺に三男として生まれる。東京浅草の東本願寺派本山東本願寺で30年間奉職。内事部長、法務部長、浅草浄苑事業部長を兼任。
平成30年道林寺門信徒の要請を受けて本山を辞し、妻子を伴って道林寺に入寺、現在に至る。金沢の支坊に居住。